最近、イケハヤさんを継続的に追ったりしている。主張は、「会社なんかやめてしまえ」「blog記事を毎日10本ぐらい更新し続けなさい。1年以上」というもの。
質の低いエントリとか載せるの嫌だな~とか最初は抵抗を感じていたものの、昔アメブロでblogを始めたときのような感覚を味わっている。ちょっとした充実感と、情報の整理、言語化、自分なりの解釈。
普段興味が無くてスルーするようなとこも、なるべくコメント入れるようにしてる。「ワケ分からんからスルー」みたいな事続けてると生長しないし。
彼の場合、「有名大学出たというバックボーン」がどれだけ関わってるんだろうなとか考える。軽い羨望も覚えるが、変なコミュニティに関わるとか嫌だなと思う。
個人的には、「毎日出力しなさい」に集約されるんだと思う。
出力先としてblogとかがあるに過ぎない。何処に出力したっていいし、オープンである必要は必ずしもない。
要は、上手く取捨選択してやればいい。
女子なら個人情報載せないとか。
この人は、クオリティの高い(とみられる)記事をかなり高く売ったりして収益を得ているようだ。有料記事はもちろんクローズドなので、「信用できない」って人からすればかなり胡散臭く映るようだ。
彼の「blog運営の教科書」は¥3000(正確には2980円)もする。ちょっと高いだろそれ。
・・・手を出さないヤツはかなりいるけど、基本的に悩まないんだろうな。
入力と出力の対比
自分には才能がない。絵を描く能力がない。羨ましい。
・・・・そんなのは関係ないのかも知れない。
マンガを読んだらマンガを描く。
文章を書いたら文章を書く。
小説を書いたら小説を書く。
模倣的な入力と出力の再帰的ループ。
そこに、妙に劣等感や敷居の高さを持ち込むと失敗する。 もっとシンプルでいい。
そんな事を考える。勿論、上手く行かないこともあるだろう。
オレは分析が好きなんだが、それは自分なりに世界というものを解釈したいからに過ぎない。むしろ、必要性に迫られてやってる。「スゲーだろ」なんてのはそっちが勝手に思ってくれればいい。
「スゲー」なんてのは他に山ほどある。こっちの記事なんかわざわざ読まなくていい。最近、妙に拒否的な反応をされるので困る。
オレもしばしば否定的な反応をするのだが。
・・・話を戻そう。
入力だけじゃなく出力をする・・・・つまり逆の経路、「自分」というフィルタを通した世界の解釈と表現。最初は稚拙だ、もちろん。
だが、その「稚拙さ」さえも分析の対象に出来る。
このblogではあまり具体論は書かない事にするが(いろいろと準備がめんどいし、今までのblogと併用したいから)、小説の構成なんかは割と真似出来たりすると思う。
マクロなレベルでもいいが、自分はむしろ、一節に絞った文章を解析することを勧めたい。あ、もちろんプロのね。
♪えーんこはながいーよー どーこまーでーもー
— End of Date (
♪CPU 幾多のエラー 乗り越えてー
♪ やっとこさー完成 ぼーくだけのー
♪ 自己満の螺旋- まーわあってるぅー@EndOfData ) 2016年9月28日
簡単なとこだと替え歌だろう。発音の長さや韻を考慮して、好きな文字をパズルのように嵌めていく。
こういう事を続けていくと、ブレインストーミング的なひらめきに繋がっていく。
新しい発想。そして技術レベルを高めていく努力。
あとは、新しい発見やひらめきを絶えず生み出して、内面的な自己革新を発生させ続けること。あまり停滞しないこと。
一か月もなんか停滞してるような感じだったら、危機感を覚えた方がいいかも知れない。
そんなことを考える。