今後のためと1年間の無職生活を決意して、ソシャゲも辞めた。俺は不器用だから、どうしてもそっちの方向に引っ張られがちになる。
でもゲームを絶つのも、年齢を経たせいなのか今までよりもかなり苦痛に感じられた。今後は浅く広く、洋ゲーなんかにも手を広げながら、長期間やり続けることはせずに食いつないで行こうと思った。ゲームは何もアレだけではないのだ。
独学で何かを習得するというのも、かなりの苦痛を伴う。なんでこんなに疲労困憊するのか分からん。外見はなんとか若さを保っているが、ジジイ化してるのかもしれない。
複数の分野を浅く広くと思っていたが、一定のラインまではやり続けた方がむしろ自分に合っているらしい。もちろん特化などと言っても高が知れているし、適切でもない。応用力が必要だ。
社会に自分のやり方を問うのは、もっとずっと後の段階でいい。
今までの生き方から60度程度は転換しなければならない。そうしないと未来が引き寄せられない。
自分がどれだけ出遅れているかなど、今は考える必要はないのだ。
自殺するような・鬱に陥る人間は、社会の価値基準と自分の現状にギャップがあるからそういう方向に引っ張られていく。
世界は残酷かどうかなど、大して重要ではない。世界なんて、相当にいい加減な代物なのだから。