私の就職が決まらず、毎日ヒマしています。人間として欠陥品だからでしょうね。
前置き
さて、自作の家計簿アプリばかりをネタにする訳にもいかないので、書評でも書こうと思い立ちまして、図書館で一冊借りて読みました。
皆さんは人生における読書の位置づけについて、どう考えていますか?私は小説を読むのが好きでしたので(ジャンルは広くないし移り気)、ひと時の夢を楽しむために歴史小説やらラノベやらをつまみ食いしていました。
何かを学ぶとなるとやはり実用書ですかね。私としても、今後の人生は実用書中心でいいかなーなどと思ったりするのですが、興味も持続しませんし、そんな簡単な話でもないようです.....
今回は「人を殺して、みたかった」という罰当たりな本をいい加減にレビューしてみます。
本書に登場する殺人者
当時19歳で、本書の主役。
マリーの性格と性向
「人を殺す事に異常な興味を示す」
明るく活発で、短髪でどちらかというと男らしい。一人称が「俺」。
毒物収集が趣味で、中学時代に密かに購入していた「手斧」を宝物にする。猫などの小動物を殺していた。
名前は”マリー(仮名・本書からの引用)” 以下、マリーと呼称します。
家庭環境
父は大学教授、母もバリバリ働くキャリアウーマンであり、マリーの事はあまり構ってこなかった。祖母がマリーに非常に甘かった。
個人的な考えと総評
自分としては、「人を殺してまでしたい事はないし、人を殺せば己もまた生きては居られない」と考えております。人に殺意を抱くのは長年に渡る恩讐を除けば、幼年期の成長の歪みが主原因であり、本書でも度々その点に触れています。
なんとも歯がゆいのが、マリーに対し「奇抜だが、殺人をする子だと思えなかった」 という点で周囲がほぼ一致した見解を持っていたことです。高校時代、硫酸タリウム入りのミックスジュースを隣の男子学生に飲ませていたにも関わらず、誰も気が付かなかった。「誰もがマリーが怪しい」とウワサをしていたが、それが捜査本部に伝わる事が無かった。もはや他人事というか、容易にマリーを捕縛出来たに関わらず、誰もしなかったという状況。
マリーという少女は実に頭がよく、周囲に対してそれなりの地位を築けていたという事を裏付けています。
繰り返しになりますが、私としては人を殺すことに、如何なる合理的理由も見いだせません。人のカタチをした怪物であるとしか感じられない。本書では新種の殺人者であると結論付けていますが、私としてもそのような感じがします。
ある種、気の毒な成長の仕方をしたなという感もなくもないですが、やはり異常でしょう。
殺人者たちの傾向
大量殺人事件の犯人たちは、神格化され、マリーのような性向をもった10代たちから
熱狂的に支持されるという特徴があります。s
”マリー”もまた、そういう子どもたちから英雄視されているのかもしれません。
また、幼少期から猫のような小動物を殺していたり、それにまつわる物品を蒐集していたりといった顕著な傾向もみられます。私もTwitterで、猫を虐待しているツイートを観てしまった事があります。
彼らの凶行を止めるのは良識であり、彼らの承認欲求を満たしてやる・・・少なくとも、無視せず、なるべく見守っていくのが重要であろうと愚考する次第です。
まともな家庭環境が必要であることは言うまでもない。
もっと練って書けたと思うけどめんどくさいのでこの辺りで。