大半の人にとって、自身の記事というのは単なる同人誌、暇つぶしの道具です。人によってはフリーペーパー以下の価値しかないし、ある人によっては面白い読み物で毎日読む価値があるのかも知れない。僕は自分に興味を持ってもらおうとか思っていません。興味を持ってもらえるほどの人生を送っていない。だから人に自分の事をいちいち話すような事はあまりしていません。
衝動的に駄文など書き始めてしまいましたが、無視してくださって結構です。
この短期間に原付 50ccのHonda Dunk、ヤフオクで中古車を購入しました。
中古車を購入した件につきましては別途記事にするかも知れません。
どちらが好きかと訊かれると、自分としては断然バイクであると答えます。クルマは肩が凝るし、神経も余計に使うのであまり好きではないです。
バイク(原付)の方が方は凝らないし、長時間運転していてもそれほど疲れません。かなり危ないときあるけどね、正直なとこ。
余談ですが、Honda Dunkはボアアップが出来ないとされる車種です。少なくとも、そのような事をした実績は見当たりません。かなり難しいらしいですね。開発したHondaなら出来るのかも知れませんが。ですが、書類上だけ原付2種にしてしまうというのは出来てしまうそうです。
法的にも1種より盤石になるので、ボアアップしたことにして2種にしようと考えています※1。
※1 法定30kmはオカシイと皆が言っているし。
アニメ「スーパーカブ」の小熊ちゃんはカブを49CC→52CCに調整して、法の目を掻い潜る黄色ナンバーにしたというシーンがあります。これからはそのような小細工が流行るかもしれません。
>小熊が自動二輪免許を取得したことが紹介され、スーパーカブの排気量が49ccから52ccに変更され、原付(一種)から原付二種になったとの言及
— ひつじ人間┏@-ᴥ-┏@┏💨Dunk乗り (@sheephuman) 2021年5月26日
その程度の事で法の網をすりぬけられるんなら、Honda Dunkも排気量アップしたいんですが、かなり困難らしいですね。
実際はそんなの関係なく走ってるけど。 pic.twitter.com/DgXVEO3sMC
僕はアニメ「ゆるきゃん」のせいで、キャンプ場の不始末が増えたのかなと考えてます。あのアニメでちゃんと後始末をするシーンって一つもないんですよ。まあしてることにはなってるし、最後に一コマだけ注意書き出てますけど。でも、ちゃんと描写するかどうかって大きな違いだと思うんですよね。尺の関係かとはおもうんですが。
バイクは燃費がいいことも去ることながら、自由な乗り物でもあります。常に独りでいる自分には性に合っているのかも知れません。カーナビも付けましたし、スマホホルダーもあります。僕は方向音痴なんで、そういう道具は常に必要なんです。高校時代は登山してましたが、地図の読み方は知っていても方角が読めません。距離感も微妙なところです。
最初の頃はなにやら新鮮な感動を覚えまして、千葉旅行に行ったりもしました。風も気持ちいいし、車体を自在に動かせる自由感、180度視界を見渡せる満足感はクルマにはないものです。たまにクルマ乗るときは窓を全開にしてないと落ち着かないですね。
しかも燃費が最悪と来ている。なんであんなもんに乗りたがるんでしょうかね。最高級車でも40km/L行かないですからね。まあ技術の限界でしょうね。クルマに乗ってていいのは他人を攻撃できるからじゃないですかね。
クルマというのは、どういう訳か原付に対して弱者という認識を持ってるらしいですね。ぶつけてもお前が悪いぐらいには考えてそうです。
最初は怖いんで2段階右折してましたが、最近はそんなのもあまり守らなくなりました。最高速は出るのに出足が遅いのは不満かなあ。何とか調整出来るといいんだけど。
警察に3回捕まりましたが、3度目の青切符の違反金は面倒だったので踏み倒しました。あまり熱心に取り立てをする訳でもないそうです。
その後は警察の取り締まりスケジュールが公開されていることを知りまして、多少の例外はありますが、概ねその範囲で取り締まりをしている模様です。危ないときもありますが、何とか捕まらずに済んでいます。ちょっとしたスリルですね。
原付を買ったものの、問題は行き先でした。ゴミ拾いなど始めるようになったのは、結局のところ、行き先と目的が必要だったからに過ぎませんね。公園巡りするのはいいですが、それだけではつまらないですから。自然が好きとは言っても、詳しく何か知っているわけでもない。だからそんなことを始めた。始めて見ると、想像以上に劣悪な現状が浮かび上がってきた。
Twitter上にはゴミ拾い活動してる人結構いますが、もはや別にどうでもいいです。僕の欲求は旅をすることであって、ゴミ拾いはあくまでその目的でした。
退屈しのぎになればそれでいい。その程度の事でしかなかった訳です。
それでも、自分が生きる環境というものに対し、大多数の人間がここまで無頓着になれるという事は少し不可解です。自分の住む地域の水も、食事も、勝手に、自動的に供給されていると考えている。少しもそんな事はないのですが。むしろ、今のシステムは段々とガタが来てる。そのシステムが崩壊すれば、水道水が直接飲めなくなる時代が来るのかも知れません。淡水はもっと貴重になるかも。なぜそんなノホホンとしてられるんですか?
日本という国は、そういう目先の利益しか考えない民族集団に成り下がってしまったように思われます。僕は最近、国会中継見るようにしてますが、菅首相の内面は言葉の端々ににじみ出てますね。あるのは目先の利益だけで、あとはSDGsなどという余所の団体が掲げた流行に乗っているだけです。初めはそんな用語、誰も知らなかったと思いますし、今も興味のない人は全く知らないんじゃないですかね。
まあバカげた愚痴ですね。お世話様でした。